聖なる杉、生なる大地

内戦によって破壊された建物や瓦礫の山が取り払われ、ベイルートの街全体が、復興のまっただ中にあった。数年前は、たった一台のショベルカーがビルの取り壊しや地ならしをしていたというのに、今では街のいたるところで、再建に向けて大々的な工事が行われている。
すっかり様変わりした市内の様子に驚き、覚えていた建物を見つけたときは、むしろ懐かしささえ感じたくらいだ。

約15年ほど続いた内戦がようやく収まり、レバノンは「中東のスイス」と呼ばれていた頃の姿に生まれ変わろうとしていた。雄大な山岳がそびえ緑豊かなレバノンは、かつて中東の中でも特に美しい国だったのである。

私をこの遠い国レバノンへと駆り立てたのは、国の象徴である「レバノン杉」を一度見てみたいという思いだった。しかし、今は深緑の国というにはほど遠いありさまだ。長い歴史の中で乱伐が繰り返され、度重なる内戦の果て、かつての面影は失われてしまった。


レバノンは地中海に面した小さく狭い国だが、各地の古代遺跡から、この土地を巡る歴史をうかがい知ることができる。中でも最も壮大な建造物が、ベカー高原にたたずむバールベックの遺跡だ。ローマ時代最大級の神殿で、その保存のよさには驚かされる。夜になるとライトアップされ、本格的な観光名所としてよみがえりつつあるそうだ。

近代の建築にも、すばらしいものがある。19世紀初め、レバノンの太守バーシル2世によって、40年の歳月をかけて建てられた宮殿「バイト・エディーン」。現在は博物館になっているが、その東方建築様式の美しさには、驚嘆してしまう。


ベイルート市内は、他の中東諸国と異なり、実にヨーロッパ的である。街角でコーヒーを飲んでいる光景は、まるでパリのカフェを思わせる。ファッションも欧米風で、アラブ特有の服装を見つけるのが、むしろ困難なくらいだ。

内戦中に破壊した信号が、まだあまり設置し直されていないため、車の流れはスムーズだとはいえない。ドライバーの運転も荒く、注意して歩かないと、危うくぶつかりそうになる。でも、迷彩服のシリア兵の検問がなくなっただけでも、ずいぶんよくなってきたように思える。

レバノンの山の中腹には、新しくオシャレな家が次々と建ち並びはじめている。内戦時に国外に逃げていた人々が母国に帰ってきて、復興を推し進めているのだ。まだ南部ではイスラエルとの紛争が続いているが、いつになったら完全な平和が訪れるのだろうか。私は、今の復興がムダにならないことを祈っている。


1996年夏





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