シリアは故郷の香り

街の中で異様に目につくのが、シリアの大統領アサドファミリーの写真だ。いたるところに飾られていて、まるで「崇拝すべき者ここに在り」といわんばかりである。

シリアはいまだにイスラエルとの和平交渉が進んでおらず、トルコとの国境地帯には両軍が集結し、ものものしい状態が続いている。この国は東地中海に面しているが、国土のほとんどを、荒涼とした砂漠が占めている。シリアとイスラエルの間に広がるゴラン高原で、国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)として、日本の自衛隊が中東和平のため派遣されているというのは、記憶に新しい。迷走しているアラブの本質を知りたくて、私はシリアという未知の国を訪ねることにした。


街には思いのほか緊張感はなく、人々の暮らしは貧しいながらも安定している。むしろ我々以上に人間らしく純朴で、争いの絶えない国というにはほど遠いことがわかってくる。

ヨーロッパ、アジア、アフリカの三大陸を結ぶ十字路にあたるシリアは、古来交易文化の拠点として重要な位置を占めていた。この要衝の地を巡り、他の民族が入れ替わり立ち替わり侵略を試みた。数々の遺跡から、過去の背景を鮮明にうかがい知ることができる。なかでも「パルミラ」は、世界でも群を抜く広大で見事な遺跡だ。波乱に満ちた長い歴史の中、暗い時代もあっただろうが、シリア全土に残っている数多くの遺跡は、彼らの財産となっているのではないだろうか。

灼熱の太陽、乾いた大地に渦巻くほこりと砂、モスクから高らかに鳴り響くアザーンは、なぜか私の気持ちをほっとさせてくれる。ずっと以前この土地に住んでいて、久しぶりに故郷に帰ってきたような気分になるのだ。日本で時間と隣合わせにあくせくと働いている自分にふと疲れを感じると、むしょうにこの土地が恋しくなる。こここには、人間に対する真の優しさがあり、地元の人の暮らしには、人間らしい心のゆとりを感じる。

アラブ人ののんびりとした生活は、決して彼らが怠け者だからではない。それは、遊牧民としての生活から受け継がれたものだという。砂漠という過酷な自然環境の中でいきる者にとって、どんなに勤労や努力を重ねても、厳しい自然を変えることはできない。彼らが長年の遊牧生活において悟ったことは、せかせかと働くより、働かずとも瞑想しながら生きていくことではなかっただろうか。


1996年夏





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海と太陽の遺跡